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2007年6月26日 (火)

死にそうなお話

あっしは一時、埼玉県富士見市の「みずほ台」と言う所に住んでいた事がありました。
90年から93年の間、
横浜、板橋、富士見、志木、また横浜と、小刻みに移動しておりました。

先日、何の気なしにその事を思い出して、"Wikipedia"で調べてみると、
駅の前の雰囲気は写真で見る限り、あまり変わっていないような感じでしたネ。

   『国敗れて山河在り』

こういう言葉があるけれど、あの駅ビルっていうんですかい、そのままの形のように思えます。

ただね、
この町にいい思い出があるかというと、

   【真っ暗】

なーんもいい事なんかありゃしませんでしたよ。

先日、申し上げたとおり、
   ↓
http://kanoyuka.cocolog-nifty.com/dairyman/2007/06/post_89f9.html

死の淵を見たのは、この町に住んで居た時でしたからね。

しかし…
今思えば、この町はアッシにとって忘れようにも忘れられん町でもあるのです。

もしあのとき、あのままこの世とお別れだったならば…

今の家族と会うことも無かっただろうし、
いま本業で塩を撒かれるようなオシゴトもしなかっただろうし、
中学・高校の同窓会に行く事もない代わりに、

「アイツ、20何歳で死んだらしいぞ」

なんて言われてたかも知れず、
ナリタブライアンやディープインパクトの3冠馬誕生も知らず、
自分自身は、なーんのご苦労もなく、忘れ去られて行く運命だったのかもしれません。

        

病気ってのは、ホント怖い!

あっしは、根が「足りない」のでしょう。

寒い12月、そう、あれは朝日杯3歳(現朝日杯フューチュリティーS)で、栗毛のミホノブルボンが勝った年でございます。

アッシの稼業は12月がトップシーズンですので眠い毎日でしたが、日曜日は水道橋にある黄色いビルに行って、日本酒飲んだり、焼鳥を食ったりと、優雅と言うか、ご苦労が無いと言うか…

他になーんもやる事が無かったのでしょうか?

お馬も始めたばかりで、どう買っていいかも分からず…

とにかく出向く、
この一途な暮らしでございました。

元々虚弱な体質で、肉体労働には不向きだったかもしれませんが、皆がやっているように何かして、家族を養う。

自分が何をやりたいのかなどと言うことはあまり考えもしなかったので、
隙間にただ「お馬」を差し込んで暮らしていたのでしょうね。

こういうことをしていると、パンとしてくる訳もなし。

理由も分からず、ただ会社に行き得意先を回り、休みは単にお馬の生活。
何事も無く月曜が過ぎ火曜日の朝、起きてみるともう、起き上がることも億劫になっていました。
それでも、Yシャツを着て会社へ向かおうとしたのですが、ネクタイが締められない。

   『こりゃ、もうダメだ、会社には申し訳ないが休もう』

水曜が定休ですので、連休すれば何とかなるな、と思ったのでしょうね。

ここから先はあまりもう記憶にないのですが、
家人に車で病院へ運んでもらい、診察があったようですが(朦朧とした状態)、即入院という事になりました。

ベッドに入った事もよくわからず、目が覚めたら真っ暗でしたョ。
どうやら個室に入れられたらしい。
入院したときの事は、ホント記憶がありませんでした。

ただ、

「たかだか風邪くらいで入院とは、大袈裟な病院だなあ」

この程度の認識で、きっと入院しないと遊びだすからと言う、廻りの者の考えだと思っていましたョ。

目が覚めると、とにかくアタマが割れるように痛い!
看護士を呼んで、事情を話したら、

「我慢して下さい」

こういう返答でした。

あとで気づきましたが、
そのまままた眠り、正気になったのは土曜の午後だったようで、
またアッシは馬鹿だから12CHでお馬がやってるので土曜と気づいた次第でした。

そんときも、

「疲れて時ってのは、よく眠れるんだな」

くらいしか考えませんでした。

その後、熱も下がりだしたので、大部屋へと移動しましたが、
合計2週間位は入院してたようです。

自分の状態がどんなであったかは、
ずっと経ってから、実父母に聞かされて分かったのです。


死にそうになると、

「三途の川を見る」

なんて聞いた事がありますが、あっしはそういうものは見ませんでした。

ただ単に、「真っ暗」なところに居るという感じで、
アッシはそこが病院の部屋だと思い込んでおりました。

ときどき思う事があります。
もしあん時に死んでいれば、もう13回忌も過ぎて、ホント忘れ去られてしまってる、と。
(それも間違いとも思いますが…)

その後も、
確かにいろいろな事がありましたが、
これはみんな「生きているから」こその出来事であり、
死んでいれば、なーんもなし。

だからといって、
そういう失敗を糧に成長したかというと、
大したこともなく、むしろ小さくなった気もするし…

若い時ってのは、
バカな事をしても一生懸命だったよな、って思うのですがね。

何か足りないんだよね、ホント。

機会があったら、みずほ台にでも行って来ようと思います。

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